「靴をそろえる」ことが勉強とどう関係しているのか。
当教室は私の自宅の1階にあるので、生徒たちは玄関で靴を脱いで「教室」に入ってくる。
生徒が勉強を始めると私は必ず靴をそろえに行く。
靴の向きはバラバラ。
ダンゴムシがひっくり返ったように靴底が上を向いているものさえある。
そんな乱れた玄関の靴たちは、生徒が帰るときには整然と並んで、持ち主の帰りを待ち受けている。
たいていの生徒はそのときにハッと気づくのだが、いつまでたっても気づかない生徒もいる。
何回かこれを続けているうちに、私の仕事はなくなっていく。
そういう学年は落ち着いた雰囲気で勉強していることが多く、逆にいつまでも靴をそろえないといけない学年は、雰囲気も成績も不安定なままである。
靴をそろえない生徒は、玄関から入り、体の向きを変えずにそのまま教室に入ってくることになる。
一方で、靴をそろえる生徒は、靴を脱いで必ず体の向きを変える。
反対向きにならないと靴をそろえられないからだ。
つまり、靴をそろえるという動作は、一度立ち止まり、振り返るという落ち着きを与えるのだといえる。
気づいた生徒たちの中には、他人の靴までそろえる者さえ出てくる。
そのような子どもが「人としての道」を踏み外すことは決してない。
人として尊敬されるような、立派な人格が作られていくと思われる。
「靴をそろえる」ことは学力の向上だけでなく、人間的成長につながる可能性を秘めており、まさに「百利あって一害なし」なのである。
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